心の問題が体の痛みに影響する

慢性腰痛は、骨格や筋肉をいくら検査しても、明確な原因が見つからないことが多かったものです。しかし近年、原因不明の腰痛に、心理的な要因がかかわっているケースが意外と多いことがわかってきました。
仕事や人間関係上のストレスなどの影響で痛みがひどくなってしまうもので、「心因性腰痛」と呼んでいます。
Aさん(30代・男性)は、激しい腰痛が何ヵ月も続き、とうとう仕事ができなくなったと来院。しかし、画像所見では特に異常は認められません。ひとまず薬を使って痛みを緩和していくと、しだいに診療の場で日常生活について語ってくれるようになり、仕事の上で精神的に大きな負担を感じていたことが明らかになりました。
外回りの仕事をしているAさんは、夏場、炎天下の中を忙しく動き回り、心身ともに非常につらい思いをしていたのですが、周りにそれを伝えることができず、一人で抱えこんでいました。「無理なことは無理だと伝え、職場に理解してもらいましょう」とアドバイスしたところ、それ以降、Aさんの腰痛は劇的によくなりました。
心の問題が体の痛みに影響を及ぼすのは、脳内での痛みの情報伝達にかかわるドーパミン系に問題が生じるためではないかと考えられています。
痛みは、体の危険を感じ取るために必要な信号でもあるわけですが、それが出っ放しでは困ります。ですから、通常は痛みの刺激が伝わると、フェージック・ドーパミンという物質が放出され、痛みをコントロールします。一方、ストレスや不安、うつなどが存在すると、別な経路からトーニック・ドーパミンが放出されます。後者の分泌が多いと、前者の分泌は低下するという関係性があります。
人がストレスにさらされていると、継続的にトーニック・ドーパミンが放出されて、その結果、フェージック・ドーパミンが放出されなくなり、痛みをコントロールできなくなってしまう。つまり、普段なら大した痛みと感じない刺激でも、痛みとして認識してしまう、と考えられているのです。
心因性腰痛を疑うときの判定基準として、私たちは「BS―POP」という問診票を用います。これは本来、医師用と患者用の二つのステップで評価しますが、参考に患者用を掲載しておきます(左ページの左上)。問診票の合計点数が、15点以上の場合は、心因性腰痛の疑いがあります。
ただし、仮に心因性腰痛と診断がついても、心の問題がすべての原因というわけではありません。実際には、痛みが慢性化する過程に、肉体的・心理的要因の両方が複雑にかかわっていると考えたほうがいいでしょう。
例えば、最初のきっかけは、骨格や筋肉の障害だったかもしれません。それ自体は軽かったとしても、痛みのせいで日常生活や仕事に支障をきたし、精神的ストレスにつながることもあるでしょう。そして腰痛が長期化してくると、最初の肉体的問題は軽快しても、心理的問題の影響が強くなっていた、ということが起こりうるわけです。
心因性腰痛の判定基準(問診票)

手術では救えない患者さんがいる
こうしたケースに対応するため、整形外科と精神科などが連携し、体と心の両面から治療していくのが「リエゾン治療」です(リエゾンは連携という意味)。私たちは、「運動療法」と「認知行動療法」を中心に、リエゾン治療を行っています。
運動療法は、体を動かせるようにするためのリハビリとしての効果のほか、痛みそのものへの治療効果もあるとわかってきました。運動療法を継続すると、痛みに対する感受性(痛みの感じ方)が変わってくると、科学的に証明されたのです。
認知行動療法は、患者さんの「痛み」や「体の不自由さ」に対する考え方や感じ方を変えていくアプローチです。例えば、「腰が痛くなるから歩けない」と歩かずにいた人を、「痛いけれど、このくらいなら歩ける」と考えられるように変えていくといったことです。
注意すべきなのは、体の痛みを訴えて来院された患者さんに、「心の問題が関与しているようだから、精神科も受診してください」などといきなり言っても、そう簡単には聞き入れてもらえないということです。
重要なのは、患者さんと医療スタッフが信頼関係を築いていくこと。特に、患者さんが現に感じているつらさへの共感を示すことが大切です。「痛かったでしょう、ここまで来るのが大変だったでしょう」などの言葉があるだけでも、患者さんは「自分を受け入れてくれる」と感じ、信頼関係を作る助けになるものです。
治療の目標設定も重要です。最終目標は「痛みをなくす」ことですが、慢性化してしまった痛みは、一朝一夕にはよくなりません。まずは「痛みと同居」しつつ、生活の中から少しずつ「不自由さ」を取り除いていくことを目標にします。
例えば、「5分しか立っていられず、台所仕事もできない」という場合、「痛みは感じながらも、なんとか台所仕事が終えられる」といった身近な目標を設定します。その目標を患者さんと医療スタッフが共有することで、治療がスムーズに進みやすくなるのです。
整形外科は「手術して治すのが仕事」と考える風潮がありましたが、手術では救えない患者さんは少なからずいます。
手術を何度も受けて、そのたびにかえって悪化し、寝たきりになっていた若い女性患者さんが、リエゾン治療によって回復し、社会復帰を果たした例もあります。こうした医療の形が広く普及して、患者さんが救われる機会が増えていってほしいと、強く願っています。
解説者のプロフィール
大谷晃司
福島県立医科大学医療人育成・支援センター兼整形外科教授。1990年、福島県立医科大学医学部卒業。14年より現職。専門は、脊椎・脊髄の外科、高齢者の整形外科、慢性疼痛の治療。共著に『長引く腰痛は脳の錯覚だった』(朝日新聞出版)がある。