変形性股関節症で手術が必要と言われる
「貧乏ゆすりをやるといいよ」。柳川リハビリテーション病院の井上明生先生からそう言われたのは10年前です。
「貧乏ゆすり」という響きがよくなかったので、「いやだなあ」と思いましたが、でも結局は、関節の変形はそのままですが、貧乏ゆすりによって、私の変形性股関節症は治ったのです。
股関節に異常が出始めたのは15年前、57歳のときでした。ある日、靴下を立ってはこうとしたら、左足が途中までしか上げられないのです。
痛みはなかったのですが、「絶対おかしい」と、夫から整形外科受診を勧められました。結果、変形性股関節症とわかったのです。
レントゲンの所見では、軟骨がすり減り、股関節と臼蓋の間にはすき間がありませんでした。「人工関節を入れる手術をするしかないが、痛みが出てからでいいでしょう」と医師からは言われました。
手術までに、脚に筋肉をつけることも指導されました。そこでプールの中で歩いたり、足踏みをしたりしたのです。
すると、それがよくなかったのか、今度は痛みが出てきたのです。それに対し、痛み止めや筋肉痛の薬が処方されたとき、この病院のやり方に疑問を持つようになりました。
テレビを見ながら貧乏ゆすりを行った
ちょうどそんなとき、知り合いから「井上先生がいい」という情報が入り、一度診てもらおうということになったのです。
井上先生の病院では、レントゲンだけでなくCT写真(コンピューター断層写真)も撮り、その結果、大腿骨頭(太ももの上端にある骨)に穴があいていることもわかりました。
思った以上に病状は悪いものでしたが、それでも私は手術を避けたいと思いました。手術をした友人がいて「動くと痛いし、正座ができない」と聞いていたからです。
それを先生に伝えると「医学は進歩していくので、それでいいと思います。ただ、股関節に負担をかけないようにしないと」と言われました。また、寝ていても痛む場合は、手術も考えましょう、とのことでした。
そして、なるべく車で移動すること、歩くときは杖をつくこと、かかとの高い靴ははかないことなど、生活上の注意点を教えてくださったのです。
私はそれらを忠実に守りました。近い場所も車で移動し、家の中でも杖をつく生活を続けたところ、1年たたないうちに、痛みが軽減し始めたのです。
その診察から5年後、「すごく効果が出ているから」と、貧乏ゆすりを勧められたわけです。最初はびっくりした私ですが、先生の説明を聞き、やってみようと思いました。
実は私はそれ以前から、家にいる時間は、足をもむ健康法を行っていて、その中で、足の甲を反対の足のかかとでよくこすっていました。ちょうどその動きが貧乏ゆすりに似ていたので、ひょっとしたら、それがたまたま、痛みの軽減に役立っていたのかもしれません。
それからは足もみとともに、時間を見つけて、貧乏ゆすりを行いました。貧乏ゆすりは意識してやると、思いのほか疲れるので、1回につき5分続けるのがやっとでした。そのくり返しで、1日に1時間程度行っていたのではないか、と思います。
スポーツクラブに入会するほど回復した

効果が確認できたのは3年後でした。井上先生が「えっ」と驚きつつ、私にレントゲンを見せてくださったときのことは、今もはっきり覚えています。
その写真には、軟骨の再生が推察できる黒い線が映っていました。
当初私は、別の患者さんのレントゲンだと思ったので、先生がなぜそんなに驚かれているのか、わかりませんでした。私の写真だと理解できたときには心底驚き、「やったー!」と、喜びがこみ上げてきたのです。
一昨年の受診では、「軟骨が完全に再生しているから、杖を外していいよ」とうれしいお言葉もいただきました。
今後のために、足に筋肉をつけたほうがいいという思いから、1年半前からはスポーツクラブに入会しました。
こんな奇跡を起こすのだから、「貧乏ゆすり」ではなく「金持ちゆすり」ですね、と、先生と話したものです。
癖になるほど無意識に行ったのがよかった(柳川リハビリテーション病院名誉院長 井上明生)
田中さんで印象に残っているのは、「ずいぶん熱心に貧乏ゆすりをされたんですね」と言ったら、ご本人は「それほどしていません」と答えたのです。するとご主人が「うそつけ。しょっちゅうしているぞ」とおっしゃいました。つまり、田中さんの貧乏ゆすりは「癖」になっていたのです。軟骨を再生させるには、癖になるほど行うのがポイントだと、田中さんに教えられました。