解説者のプロフィール

石川ひとみ
78年歌手デビュー。81年「まちぶせ」が大ヒットし、同年「紅白歌合戦」に出場。87年B型肝炎で緊急入院するが克服し、1年後に芸能活動を再開。歌手のほか、闘病生活を生かした講演、キャンペーン、シンポジウム等にも積極的に取り組む。著書に、闘病生活をつづった『いっしょに泳ごうよ』(集英社)がある。今年、デビュー40周年を迎え、35年ぶりの40周年記念オリジナルアルバム「わたしの毎日」(テイチクエンタテイメント)6月20日リリース決定。7月26日(木)アルバム発売記念ライブ 羽田ティアットスカイホール決定。
「なぜ私が?」という悔しさでいっぱいだった
私がB型肝炎を発症したのは、27歳のとき、初ミュージカルの稽古中でした。
めまいがあったので検査を受けたところ、そのまま緊急入院となったのです。
舞台を降板することになり、当時は、関係者のかたがたへの申し訳ない気持ちと「なぜ、この私が病気に?」という悔しさでいっぱいでした。
でも、本当に大変だったのはその後からです。病気そのものもそうですが、病名を知らない間に報道されて、当時はまだ肝炎という病気に対したくさんの誤解があったため、偏見に直面することになったのです。
例えば、街中で握手を求められているときに、突然、「その人、B型肝炎なのよ!」という声が飛んできたかと思うと、サーっと人の波が引いたり、見も知らない人から「B型肝炎の人だ!」と呼ばれたり……。
ショックで、悲しくて、どうしようもなかったのですが、「正しい情報がないのだからしかたない」「そう思われてもしようがない」、そう自分を納得させるしかありませんでした。
体の状態もなかなか安定せず、それも苦しさに拍車をかけていました。調子がいいなと思っていても、ある日突然、体調が悪くなるのです。そのため、断念せざるを得ない仕事もたくさんありました。
元気だった頃とはまるで別世界にいるような状態に、泣いて泣いて、もうこれ以上涙は出ないというほど泣きはらすこともありました。
ただ、そんな中、病気を発症する以前と、まったく私への接し方が変わらない人もいました。私の悔しかった話、悲しかった話を、いつもと同じように聞いてくれ、どうしたらいいのか一緒に考えてくれる……。すごく勇気づけられました。
それが、デビュー当時からの音楽監督であるプロデューサーの夫です。
自分の命は自分一人のものではないんだなと思いました。私が悲しんでいたら、悲しんでくれる人もいる。それがわかると「病気によって失ったものはたくさんあったけど、反対に、病気によって得たものはすごく大きい!」と思うようになりました。人は、一人では生きられないってことですよね。

「病気によって失ったものはたくさんあったけど、得たものはすごく大きかった」と石川さん
調子のよいときは「今」を楽しむ!
肝臓は「沈黙の臓器」といわれるだけあって、B型肝炎は自覚症状と数値が一致しにくい病気です。
自分としては十分にケアしたつもりでも、検査結果が悪かったり、その逆もしかり。自己コントロールが効かない歯がゆさに、常に悩まされます。
そのため、調子がよいときでも「いつ悪化するかわからない」という恐怖感と向き合うことになってしまいます。
先行きが不安なことに心が支配されると、「この仕事はやめておいたほうがいいかな」と、気持ちが消極的なほうへと傾きます。
そんなとき、主治医の先生が「医学はこれからも進歩していくのだから、先の心配はやめて、よいときは今を楽しんでください。そして、調子が悪くなったら、その都度、最善の対処法を考えましょう」と励ましてくださったのです。
そのとおりだなと思い、それからは無駄に気をもむのはやめようと思いました。
未熟な私には、かなりの訓練が必要でしたが、楽観視することで、心の切り替えが早くなったように感じます。落ち込みそうになったときは「眉間にシワはよくな~い!」と声に出したりして、自分を律しています。
現実を受け入れたら生きるのがらくになった

退院して1年後、私にとって転機となる仕事が入りました。
真夏の京都で、1ヵ月公演という激務でしたが、お仕事をいただけた感謝の気持ちと、病後の自分の精神力、体力をぜひ試してみたいという思いから、挑戦することにしました。
そして、ありがたいことに公演は無事、大成功。途中、休憩時間中に点滴を受けたり、半日だけ入院することもありましたが、舞台に穴をあけることなく、お客さまにも喜んでいただいて、このことが大きな自信となりました。
思い返せば、病気を発症したときは、稽古後のひどい疲労やだるさ、体が鉛のように重く、何も食べられなくなってしまうのを「精神的に弱いからだ」と心のせいにしていました。
それが、京都の公演のときは、少しでも調子が悪かったら病院へ行く、休む、という柔軟さを身に付けていたことが、よかったのだと思います。
つまり、それは「現実を受け入れる」ということ。
病気になったことを恨んだり、悔やんだりせず「そうよ、私はB型肝炎よ!」とドーンと構えて、「病気だからできないこともあるけど、だからこそできることだってある。それを実現していこう!」と心に決めたのです。
すると不思議と、どんどん道が開けていった気がします。
私と同じ肝炎の患者さんが、病気に対する周囲の誤解に苦しんでいることを知り、理解の輪が広がることを願って『いっしょに泳ごうよ』(集英社)という闘病記を出版させてもらったり、肝炎の講演会を開催してもらったりしました。
理解の輪が広がるにつれ、不本意に病名を報道されたつらい過去さえ、今ではよかったと感じています。
そして、早いもので今年はデビュー40周年。CDの発売やコンサートなど、忙しくも幸せな毎日を送っています。
歌うことは、十代からの私の職業でしたが、気がつけば、生きる心の支えとなっていました。よく、歌手の皆さんが「歌が私の心の支えでした」とおっしゃっているのを聞いていましたが、今では私も「歌が心の支えです」と心の底から思っています。
健康法は特にしていませんが、よく歩きます。それと、2時間ノンストップで、一人カラオケを楽しんでいます。
よく歩き、よく笑い、物事のよい側面を見るようにする。そうするうちに、過去の体験も笑って話すことができるようになっていました。
これもすべて、いつも支えてくれる周囲の皆さんと、大好きな歌のおかげだと感謝しています。