猫と触れ合う時間は患者さんにとても大切
ヒメ(メス・10歳)は、私と犬のチャッピー(メス・享年16歳)が、セラピーキャットとして育てました。
セラピーキャットとは、病院や施設で、認知症をはじめさまざまな病気の患者さんたちと接し、心を癒す猫のことです。
ヒメは、私の自宅ではいたって普通の猫です。
人見知りでお客さんが来ると、たちまち2階に隠れてしまいます。
ところが、病院に連れて行くと、まるで「別猫」。
自分の仕事がわかっているらしく、私にいわれなくても、患者さんたちのひざに自ら乗っていきます。
そして、おとなしくなでられ、気持ちよさそうに目を細めます。
ヒメは、生後3ヵ月のときから仕事を始めました。
最初は、ケージの中から様子を見ているだけでした。
でも、セラピードッグの先輩であるチャッピーのふるまいを見ているうちに、「こうするものなんだな」ということを学んでいきました。
一般的に、猫は犬より知能で劣っているようにいわれますが、決してそんなことはありません。
猫たちは、びっくりするくらい周囲をよく見て、いろいろなことを理解しているのです。
ただ、わかっていても、猫は何もいわないだけ。
ヒメと触れ合う時間は、認知症の患者さんたちにとって、とても大切なのは間違いありません。
ヒメをなでているうちに、患者さんたちの様子が変わっていくのです。
いつも伏し目がちだったかたが、目を大きく開けてヒメの動きを追うようになったり、あまり声を出すことができなかったかたが、「ヒメちゃん」と呼びかけるようになったり……。
このように、ヒメを抱いたりなでたりすることは、間違いなく、患者さんの気持ちを和らげる効果があると思います。
もちろん、認知症がある程度進行したかたの場合、前にヒメと会ったことを忘れている場合もあります。
しかし、そういうかたでも、ヒメをひざに乗せると、抱き方を体が覚えていて、自然と上手に抱いてくださることがあるのです。
集会室に集まり、順番にひざに乗せる

車イスの患者さんが歩く意欲を持ち始めた
このように、動物と触れ合った経験は体が覚えています。
脳のどこかの部位に、刺激として保存されているのでしょう。
猫との触れ合いは、脳への貴重な刺激だと思います。
現在、私が携わっているセラピーキャットの活動は、最も頻繁な病院で2週間に1回です。
セラピーキャットと接していただくことで、認知症の進行を少しでも遅らせることにつながれば、と考えています。
もし、ご家族に認知症の傾向が見られていて、なおかつ猫と暮らしているのなら、ぜひ触れ合う機会を作ってみてください。
最初、猫は嫌がるかもしれないので、無理は禁物です。
でも、猫は、家族のことをよく見て理解しています。
気が向いたら、そのうち近づいてくれるでしょう。
私たちにとって、猫は五感を心地よく刺激する存在です。
見れば愛らしく、触ってなでれば快く、鳴けば美しい旋律となって、えもいわれぬ刺激となります。
それは、病気のあるなしに関係なく、すばらしい経験だといえるでしょう。
これまでのセラピーの経験では、認知症以外のケースでも効果を目の当たりにしてきました。
例えば、今まで口をきかなかった精神疾患の患者さんがヒメの名前を呼ぶようになったり、車イスの患者さんが歩く意欲を持ち始めたりしたこともありました。
ある精神科病棟に伺ったときのことです。
ヒメを抱いた統合失調症の60代の女性の患者さんが、涙をポロリとこぼしました。
「昔、息子が小さかったとき、どうしてもというから猫を飼ったのよ」といいます。
しばらくは涙を流して何かを思い出している様子でしたが、ヒメを抱き締めているうち、落ち着いて安らいだ表情になりました。
その後、退院されるまで、ヒメに会うと昔話をたくさんしてくれるようになったのです。
猫は、忘れかけていた記憶やしまい込んでいた気持ちを、そっと揺り起こしてくれます。
介護されるかたばかりではなく、ご家族の気持ちも、猫は必ずや癒してくれるでしょう。
体が疲れ切って、気持ちがすさんでいるときには、そっと猫が寄り添ってくれるはずです。
解説者のプロフィール

小田切敬子
1959年、大阪府出身。麻布大学獣医学研究科卒。筑波大学生命環境科学研究科修了。専門は動物の行動解析とアニマルセラピーの実践。1990年、NPO法人アニマルセラピー協会を設立。現在は、ヒメちゃん(メス・10歳)とともに、病院や高齢者施設を訪問。プライベートでは、認知症の母親との生活を送るなか、猫たちに癒されている。