脳に酸素を送れば海馬の体積がふえる
認知症を予防するために、どんなことを心がけるべきか。
脳に関する研究の進展によって、その方向性がしだいに見えてきました。
最も勧められるものが運動です。
とはいえ、サッカーやテニスのような、激しいものをする必要はありません。
1日30分程度、ウォーキングを実践すればいいのです。
歩くことは、呼吸をしながら継続的に酸素を体に取り込む運動です。
この「有酸素運動」こそが、脳の若さを保つために、最もよい運動であることがわかってきたのです。
愛知県の国立長寿医療研究センターが行った研究が、それを実証しています。
軽度認知症のある、65歳以上の308名を対象に行ったものです。
ウォーキングなどの有酸素運動を週1回行ったグループと、全く行わないグループとに分け、10ヵ月間、認知機能を調べるテストを行いました。
その結果、運動していたグループでは、認知機能が維持・向上していたことがわかりました。
特に「記憶力」のテストにおいて、良好な結果が得られたといいます。
そのうえ、脳の萎縮がストップしていたことも判明したのです。
また、フィンランドで、65歳から79歳までの1500名を対象にした、ウォーキングの研究も興味深いものです。
それによると、「少なくとも週に2回運動している高齢者は、運動を全くしていない人より、認知症を発症する危険性が半分以下になる」というデータが示されました。
では、ウォーキングをする→酸素が脳に届く→認知症を予防する、というしくみをお話ししましょう。
脳細胞のエネルギー源となる重要な栄養素として、「BDNF(脳由来神経栄養因子)」という物質があります。
これは、神経の栄養となるたんぱく質で、新しい神経を作ったり、神経と神経をつなげたり、神経を発達・成長させたりする働きをしています。
BDNFは、加齢とともにどんどんへっていきます。
特に、脳の萎縮が進んでいる人ほど、この栄養素が少ないこともわかっています。
しかし、ウォーキングのような有酸素運動をすれば、BDNFが体内でふえるのです。
また、アメリカ・ピッツバーグ大学の研究では、有酸素運動を行うと、海馬の体積が増大することが報告されています。
海馬は、記憶など脳の重要な役割を担っている部位です。
今まで、脳の細胞は加齢によって死滅するばかりで、ふえることはないとされてきました。
しかし、海馬だけは、いくつになっても神経細胞が再生し、その体積をふやすことがわかっているのです。
したがって、ウォーキングを実践することで、脳にとって大切な栄養素であるBDNFが作られ、それが海馬の体積を大きくして、認知機能を高めるというわけなのです。
また、うつ病やPTSD(心的外傷後ストレス障害)の患者さんは、BDNFが減少して海馬が萎縮していることも判明しています。
ということは、ウォーキングによって海馬の状態を改善できれば、うつ病の症状を快方へ導くことができるのです。
知らない町を選んで歩けばより効果的
次に、ウォーキングのやり方に簡単にふれておきましょう。
歩くときの速さは、ちょっと息がはずんでくるくらいがお勧めです。
1日に行う時間の目安は、30分程度です。
脳の活性をより高めるには、お孫さんといっしょに歩きながら、しりとりをしてみましょう。
そもそも、私たちは、知らない間に同時にいくつかのことをこなしているものです。
楽しく会話しながら食事をする、体でリズムを取りながら歌う、レシピを見ながら料理を作る……。
このような場合、脳の複数の領域が同時に使われますが、加齢とともに、2つの作業を同時に行うことが難しくなります。
特に、認知症になると、この能力は、格段に低下します。
そこで、中高年以降は、あえて同時に2つのことを行うよう心がけてみましょう。
それこそが、脳の複数領域を同時に使う訓練となるからです。
また、お孫さんとしりとりをしながら歩くとき、できるだけ「知らない町」を選んでみると、なお効果的です。
ウォーキングをしながら、知らない町を眺めるという新しい刺激が脳に加えられるため、それが脳をより活性化してくれるのです。
ときには、少し足を伸ばして、知らない町をウォーキングしてみてはいかがでしょうか。
また、お孫さんに限らず、ご夫婦でいっしょに歩いたり、友人やご近所のかたと連れ立って歩いたりするのもよいでしょう。
また、お1人で歩く際でも、頭の中でしりとりを行えば、同様に脳活性効果が期待できます。
ただし、周囲の安全をよく確認して実践してください。
いずれにせよ、楽しくウォーキングすることは、とても大事です。
以前は、「幸せな人は長生き」というのは、俗説とされてきました。
しかし、近年の医学研究の進歩によって、自分が幸せだと感じている人は、平均寿命が長いことが立証されているのです。
瀧靖之
1970年生まれ。医師。医学博士。東北大学大学院医学系研究科博士課程修了。現在、東北大学加齢医学研究所機能画像医学研究分野教授、東北大学東北メディカル・メガバンク機構教授。脳のMRI画像を用いたデータベースを作成し、脳の発達や加齢のメカニズムを明らかにする研究者として活躍。これまでに、解析をした脳のMRIは世界最高レベルの16万人に上る。「脳の発達と加齢に関する脳画像研究」など、脳に関する論文を数多く発表している。著書に『生涯健康脳』(ソレイユ出版)など多数。